あいうえおとABC

4歳か5歳くらいの頃だったと思う。ある日私は、壁に貼られたあいうえお表の“あ”の枠の中に“A”と書かれている事に気付いた。そのあいうえお表は元々3歳年上の兄のためのもので、物心着く前からそこにあった。“あ”の枠内の“A"はその日突然現れたのではなく、最初からそこに印字されていたものだ。それでも当時の私にとってその“A”は、その瞬間始めて認識されたのだ。
(“あ”の枠の中にはそれ以外にカタカナの“ア”の表記とアヒルのイラストが描かれていたと記憶している。小文字の“a”もあったかもしれない。)

今考えればその“A”はローマ字を表していたのだと分かる。しかし、平仮名の読み方を覚え、アルファベットのいくつかをアメリカの人が使う文字として自分なりに理解し始めた頃の私の脳は違う答えを導き出していた。「そうか!“あ”はアメリカだと“A”なんだ!」と。

アルファベットが24字であることをまだ知らなかった私は、「あ=A」「い=B」「う=C」…というように、全ての平仮名には対応するアルファベットが存在するのだと解釈し、自分の気付きにえらく感動した。誰かに教えられた訳ではなく、自分でその事実(事実では無いけど)に気付けた事が非常に嬉しかったのだ。この喜びを早く誰かに伝えなければ!私はすぐさま母にこの発見を報告した。

「おかあさん!“あ”ってアメリカだと“A”なんだね!」

そうだよ、よく気付いたね。凄いね。私が掛けられたかったのは恐らくそういった言葉だったと思う。しかし母の口から実際に出たのは

「違うよ。」

の一言だった。

私「あいうえお表に書いてあるよ?」
母「でも“あ”と“A”は違う言葉だよ。」

そんなやり取りをしたような気がする。何がどう違うのかという説明は特に無かった。ただ違うとだけ言われ、私は納得出来なかった。母がその時何を思っていたのかは分からないけれど、きっと「ローマ字はまだ理解できないだろう」と考えて説明はしなかったのだろう。私自身、自分の不満を母に訴えるだけの語彙力をまだ備えてはいなかった。何故“あ”の枠内に“A”がいるのかという疑問だけが残り、暫くモヤモヤは晴れなかった。(もしかしたら、母はきちんと説明をしてくれていたけれどそれを私が理解出来なかったor単純に忘れているだけという可能性も捨てきれない。なんせ20年以上前の記憶である。)


今私のお腹の中には6ヶ月の胎児がいる。この子が平仮名やアルファベットを読めるようになるまでどれくらいの時間が掛かるかはまだ分からないけど、とりあえずあいうえお表は用意するつもりだ。発見や疑問にもなるべく付き合ってあげたいと思ってはいるのだが、果たして叶うだろうか。イヤイヤ期を迎え毎日のように絶叫するお隣りのお子さんの声を聞きながら、そんなことを考える。