拝啓 サンタクロース様

寒い日々が続いておりますがいかがお過ごしでしょうか。

最後にプレゼントをいただいてから21年が経ちました。

 

一番思い出深いプレゼントはやはり初代ポケモンです。

兄が緑で私は赤、ソフトはそれぞれ一本ずつなのにゲームボーイポケットは一台だけで、プレイするのに大変苦労しました。

次の年には私専用のゲームボーイをお願いしました。

私の専用機はスケルトンパープルのゲームボーイカラーでした。

 

他に何をいただいたのか思い出そうとしましたが、ポケモン以外はよく覚えていないことに気が付きました。クリスマスには両親からもプレゼントを貰っていたし、私は誕生日が1月なので誕生日プレゼントとの記憶がごちゃごちゃになっているせいかなと思います。

最後にいただいたプレゼントも思い出せません。たぶんゲームだと思うのですが。

それよりもハッキリと記憶に残っているのは父の「流石にもう勘弁して」という言葉です。

中学一年生だった私は、枕元にプレゼントを置いているのが両親だということにはとっくに気が付いていました。

でもそれはそれ、これはこれ。サンタクロース様はいらっしゃる。私の所に来てくれないだけでサンタクロース様は実在のお方。決してプレゼントが2つ欲しくて嘘をついていたのではなく、本当に貴方はいるのだと、私は主張を続けていたのです。

次の年、中学二年生になった私の枕元にプレゼントが置かれることはありませんでした。

 

さて、最後にいただいたプレゼントから21年、今度は私が息子のためにプレゼントを用意する側になりました。

しかし、プレゼントを枕元に置きながら、でも本当に、これを置かなくてはいけないの?と思うのです。

私が置かなくても、朝起きたら、そこにはプレゼントがあるのでは?と思うのです。

隣で眠る息子の寝息を聞きながら、涙がボロボロと流れ落ちました。

 

ご多忙の中、きっと貴方は私の独り言に耳を傾けてくれていることでしょう。

末筆ながら、ご自愛のほどお祈り申し上げます。

 

令和四年十二月二十五日

ぽんど

あいうえおとABC

4歳か5歳くらいの頃だったと思う。ある日私は、壁に貼られたあいうえお表の“あ”の枠の中に“A”と書かれている事に気付いた。そのあいうえお表は元々3歳年上の兄のためのもので、物心着く前からそこにあった。“あ”の枠内の“A"はその日突然現れたのではなく、最初からそこに印字されていたものだ。それでも当時の私にとってその“A”は、その瞬間始めて認識されたのだ。
(“あ”の枠の中にはそれ以外にカタカナの“ア”の表記とアヒルのイラストが描かれていたと記憶している。小文字の“a”もあったかもしれない。)

今考えればその“A”はローマ字を表していたのだと分かる。しかし、平仮名の読み方を覚え、アルファベットのいくつかをアメリカの人が使う文字として自分なりに理解し始めた頃の私の脳は違う答えを導き出していた。「そうか!“あ”はアメリカだと“A”なんだ!」と。

アルファベットが24字であることをまだ知らなかった私は、「あ=A」「い=B」「う=C」…というように、全ての平仮名には対応するアルファベットが存在するのだと解釈し、自分の気付きにえらく感動した。誰かに教えられた訳ではなく、自分でその事実(事実では無いけど)に気付けた事が非常に嬉しかったのだ。この喜びを早く誰かに伝えなければ!私はすぐさま母にこの発見を報告した。

「おかあさん!“あ”ってアメリカだと“A”なんだね!」

そうだよ、よく気付いたね。凄いね。私が掛けられたかったのは恐らくそういった言葉だったと思う。しかし母の口から実際に出たのは

「違うよ。」

の一言だった。

私「あいうえお表に書いてあるよ?」
母「でも“あ”と“A”は違う言葉だよ。」

そんなやり取りをしたような気がする。何がどう違うのかという説明は特に無かった。ただ違うとだけ言われ、私は納得出来なかった。母がその時何を思っていたのかは分からないけれど、きっと「ローマ字はまだ理解できないだろう」と考えて説明はしなかったのだろう。私自身、自分の不満を母に訴えるだけの語彙力をまだ備えてはいなかった。何故“あ”の枠内に“A”がいるのかという疑問だけが残り、暫くモヤモヤは晴れなかった。(もしかしたら、母はきちんと説明をしてくれていたけれどそれを私が理解出来なかったor単純に忘れているだけという可能性も捨てきれない。なんせ20年以上前の記憶である。)


今私のお腹の中には6ヶ月の胎児がいる。この子が平仮名やアルファベットを読めるようになるまでどれくらいの時間が掛かるかはまだ分からないけど、とりあえずあいうえお表は用意するつもりだ。発見や疑問にもなるべく付き合ってあげたいと思ってはいるのだが、果たして叶うだろうか。イヤイヤ期を迎え毎日のように絶叫するお隣りのお子さんの声を聞きながら、そんなことを考える。

夢の中の店

夢の中でしか行けない店がある。

店というか、そこそこの規模のショッピングモールのようなところで、真新しいレンガと石畳の街並みに計画性を感じる。自由が丘のラ・ヴィータや川崎のチネチッタ、箱根の星の王子様ミュージアムあたりが似たような雰囲気だが、いつ行っても新規オープンのごとく経年劣化が感じられない。

夢の中で私が向かうのはいつもハンドメイドと思われる雑貨が中心のエリアだ。飲食店等他にもエリアはあるようだが、スルーしてしまうので他にどんな店があるのかは把握していない。

雑貨屋はどこも私好みので、でも買うには少し惜しいデザインの商品たちが所狭しと並べられている。レースのストールとか、いぶし銀と薔薇モチーフのアクセサリーとか。ここがこうならな、色が違えばな、と一つ一つ手に取って吟味するので全ての店を見るのにとても時間が掛かる。幸せだけどちょっぴり残念な時間の掛け方だなと思う。

最後に入る店はエリアの最奥にある古書店で、古い紙の独特の匂いが心地良い。モールの外観や他の店舗は真新しいのに、この店だけは古くからそこにあるように見えるのは商品のせいだろうか。本の他にも鉱石やパワーストーンも置かれている。店の客は常連ばかりのようで、黒髪を夜会巻きに結い上げた着物の女性をよくみかける。一度だけそこで本を買ったことがあるのだが、残念ながら何を買ったのかは覚えていない。

何せ夢だから自分の意思でそのモールに行くことは出来ない。だいたい数年に一度、忘れた頃に訪れることが出来るのでちょっとしたご褒美みたいなものだと思っている。こうやって書き留めることでそのモールへの扉が閉ざされてしまったらどうしようと少しドキドキしているのだが、いつも忘れてしまうのが勿体無くて思い切って文章に残して見ることにした。
ヤマもオチも無いけど、自分にとって意味だけはあるよということで。

とある本屋のBLコーナーで起きた事

私は所謂腐女子で、本屋に寄れば必ずと言って良いほどBLコーナーを見にいく。最初から目当ての作品がある時もあれば運命の出会いを求めている時もあるし、買う日もあれば買わない日もある。

その日もいつものように、馴染みの本屋のBLコーナーに足を運び、本棚を眺めていた。すると高校生くらいの男の子二人組が近くを通りかかり「うわ、キモい」と言い捨てたのを耳にした。そうだよねー君達からしてみればキモいよねーごめんねーと心の中で謝った。でも好きなんだ頼むから放っておいてくれると助かる、とも思った。

暫くすると彼らはBLコーナーに戻って来た。何故か一人増えていた。元々三人組だったのだろう。私の隣に立ち「男の裸とか、うわーキモい」みたいな事をボソボソと言っているのが聞こえた。男の裸はキモいのか、なら女の裸はキモくないのかな、まぁ男子高校生だもんな、キモいのは分かったから早くいなくなってくれないかな、と思った。少ししたら彼らはいなくなった。

今思えば私もそこで物色をやめれば良かったのだが、気が付いたら彼らはまたBLコーナーへやって来た。今度は私の真後ろでまたボソボソとキモいキモいと言っていた。明確には聞き取れなかったが、私に対して言っているのかなーと感じた。事実は分からない。でも私はそう感じた。

その時手にしていた傘を振り回して彼らに殴りかかりたかった。何か用ですか?ハッキリ言ってくれないと聞こえません。そう言いたかった。でも出来なかったし言えなかった。せめてどこの学校か確認してやれば良かったかなと後になって思った。でもそんな事をしてもきっと意味は無いし、単純に三人の男子高校生が怖くて体が動かないというのもあった。

時間にしてみれば1、2分も経っていなかっただろうけど、恐ろしく長く感じた。彼らが私の後ろから去った後も暫く動けなかった。その場で泣き崩れたい気持ちを抑えて、結局何も買わずに本屋を後にした。

耐えきれず電車の中で腐女子仲間に愚痴LINEを送った。主人に付き合ってもらいカラオケでLiar!Liar!とZEROを熱唱した。涙がボロボロ流れてまともに歌えなかった。

腐女子キモい」そう言われたのは初めての事では無い。面と向かって直接言われた事もある。何かに対して嫌悪感を覚えるのは仕方ない事だし、それを口にするのだって決して罪では無いと思う。私だってきっと何処かで誰かの趣味を貶していて、誰かを傷付けているのだろう。

だがせめて、このやりきれない気持ちを落ち着かせるために脳内で彼らの三角関係BLを妄想する程度の復讐は許してほしい。

そこに萌は全く無かったし、虚しいだけだったけれどね。